2015年 信州善光寺御開帳に想う。・・・・の巻15
2015年 信州善光寺ご本尊は、何故 秘仏となったか?の⑪
実は、この≪普賢菩薩騎象像≫は諏訪大明神の御神体でした。
明治の神仏分離令で 諏訪大社から≪仏法紹隆寺≫に移されたのです。
≪普賢菩薩騎象像≫の象體は、鎌倉時代のもので 始めからのもの-
初代-です。
が、普賢菩薩像は江戸時代初期のもので 造り直されたのです。
(仏法紹隆寺パンフレットより)
写真でも解りますが 象體と菩薩像のバランスが悪いです。
当初の普賢菩薩像は、今の像の3倍位あったのではないかと考えられてい
るそうです。
そして 今の像は、仏教的な端正なお顔です。
たぶん (私が勝手に思っているのですが)以前の普賢菩薩像も「おっさん風
」なお顔だったのではないかと思います。
なぜなら 初代普賢菩薩像は、諏訪明神の御神体として造られたのです。
従って 神像なのです。
文殊菩薩の顔が「おっさん風」なのは神像だからです。
初代普賢菩薩像も神像風のものだったのではないでしょうか?
ま、そんな考証(妄想)は別にして
初代普賢菩薩像を破壊したのは 織田信忠なのです。
(台の象體のみ破壊されずに残りました。)
とすると 織田家を滅亡に陥れたのは ≪善光寺ご本尊≫だけではないかも
しれません。
諏訪大明神のお力もあるのかも・・・などと思ってしまいます。
信長に至っては 比叡山の件もありますから 神罰、仏罰が下ったとしか言えませんなあ。
つづく

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実は、この≪普賢菩薩騎象像≫は諏訪大明神の御神体でした。
明治の神仏分離令で 諏訪大社から≪仏法紹隆寺≫に移されたのです。
≪普賢菩薩騎象像≫の象體は、鎌倉時代のもので 始めからのもの-
初代-です。
が、普賢菩薩像は江戸時代初期のもので 造り直されたのです。
(仏法紹隆寺パンフレットより)
写真でも解りますが 象體と菩薩像のバランスが悪いです。
当初の普賢菩薩像は、今の像の3倍位あったのではないかと考えられてい
るそうです。
そして 今の像は、仏教的な端正なお顔です。
たぶん (私が勝手に思っているのですが)以前の普賢菩薩像も「おっさん風
」なお顔だったのではないかと思います。
なぜなら 初代普賢菩薩像は、諏訪明神の御神体として造られたのです。
従って 神像なのです。
文殊菩薩の顔が「おっさん風」なのは神像だからです。
初代普賢菩薩像も神像風のものだったのではないでしょうか?
ま、そんな考証(妄想)は別にして
初代普賢菩薩像を破壊したのは 織田信忠なのです。
(台の象體のみ破壊されずに残りました。)
とすると 織田家を滅亡に陥れたのは ≪善光寺ご本尊≫だけではないかも
しれません。
諏訪大明神のお力もあるのかも・・・などと思ってしまいます。
信長に至っては 比叡山の件もありますから 神罰、仏罰が下ったとしか言えませんなあ。
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